エインズレイ窯の始まり
イギリスの名窯、エインズレイ窯は1775年にジョン・エインズレイ(1752年~1829年)によって創業しました。彼の情報はあまり多くは残っていませんが、1770年に18歳でストークオントレントのロングトンに移り住みました。ストークオントレントといえば、ウェッジウッドやミントンなどの名窯の創業地で、先の記事でも触れましたがロイヤルドルトンも後期にはストークオントレントに移転してくるなど、17世紀よりイギリスの陶器産業の里でした。
そして、1775年にロングトンの地に小さな陶器工場を設立しました。当初のエインズレイは釉薬師として知られていることから、この工場では陶器の生産ではなくデコレーションを主に行っていたと考えられます。
エインズレイがいつ独自の製造を始めたかは正確にはわかっていませんが、1829年の彼の死亡記事によると、「彼は銀製のラスターウェアをレーンエンドに導入し、1804年以降はこの地区全体で様々な成功を収めている」とあります。このようにして、ロングトンの地にエインズレイ窯が誕生しました。
ストークオントレントの位置(Wikimediaより参照。 From Contains Ordnance Survey data © Crown copyright and database right, CC BY-SA 3.0) |
エインズレイ2世による窯の躍進
ジョン・エインズレイの引退後、息子のジェームス・エインズレイも事業に参入しましたが上手く行かず、経営不振となりました。光明を得たのは、ジェームスの5人いた子供のうち長男であるジョン・エインズレイ2世(1823~1907)が後継者となった後のことです。幼少期エインズレイ2世は窯の経営不振の為非常に貧しい環境で育ち、ミントンを含むスタッフォードシャーの大小様々な窯元の下請けとして働き、数多くの知識と経験を積みました。そして、彼は陶器の製造から白く美しいボーンチャイナの製造へと窯の方向性を変える決断をします。実験の上に彼が発見した製法は、磁器の配合に「牛の焼成骨灰」を50%使用するというもので、エインズレイのファインボーンチャイナは非常に強く、透明感があり、そして非常に白くなりました。ファインボーンチャイナの導入は新しい工場を必要としたため、1861年にロングトンに新工場である「ポートランド・ワークス」工場を設立しました。この時期から「John Aynsley & Sons」という社名になりました。
ジョン・エインズレイ2世(出典: gaukartifact.com) |
イギリス王室御用達のブランドへ
エインズレイがのユニークなデザインが人気を博すにつれ、エインズレイのファインボーンチャイナは大きな評価を得るようになりました。著名人も注目するようになり、中でもヴィクトリア女王は創業間もないエインズレイ窯の仕事ぶりに注目しました。そのきっかけとなったのは、ヴィクトリア女王のティアラに装飾された磁器製の陶花です。これは、磁器製の花としては世界初であると言われており、ヴィクトリア女王に非常に気に入られました。
その後、ヴィクトリア女王は、自分が使うための華麗なテーブルウェアの製作を依頼した。女王陛下からの依頼を受けたことで、エインズレイは王室の印章をロゴに使用することができ、会社の名声は一気に高まりました。
ヴィクトリア女王(1819-1901) |
その後も現在に至るまで、幾度となくイギリス王室にてエインズレイの食器は登場しました。代表的物を3つ紹介します。
ヴィクリア女王60周年祝典(1896年)
出典: gaukartifact.com |
このカップやプレートの作品には、小さなヴィクトリア女王の肖像と1896年9月3日の日付が描かれています。また、王室やその他の帝国や軍隊のシンボルも描かれています。
メリー王女への献上品(1931年)
出典: gaukartifact.com |
エリザベス女王への結婚祝典のディナーセット(1947年)
出典: gaukartifact.com |
買収そして現在
順調に事業を拡大してきたエインズレイですが、他のイギリス陶磁器メーカーと同様に安価に工業生産される他国の製品の出現により、経営体制の見直しを余儀なくされます。
そして、1970年には、ウォーターフォード(Waterford)に買収されることとなり、それまでの John Aynsley & SonsからAynsley China Ltd.に社名を改めました。その後も買収や合併などがありましたが、最終的には北アイルランドのベリークの1員となっています。
また、エインズレイの生産は長らく、ストークオントレントでエインズレイ2世によって設立された「ポートランド・ワークス」の工場で行われていましたが、こちらの工場は残念ながら2014年に火災にあってしまいます。そのため、もともといた職人たちは現在は中国などの諸外国に移ったりするなどして生産を続けることとなりました。
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