ドルトン窯の始まり
イギリスの名窯、ロイヤルドルトン社は1815年に創業しました。社名の由来である、ジョン・ドルトンは1793年にロンドンの南西の町フラムで生を受けました。その後1804年、12歳の年になると、ジョンは英国初のストーンウェアの商業生産会社として知られるフラム製陶所ろくろ職人見習いとして仕事を学びました。7年間の修業を終えたジョンは、ロンドンで最も優れたろくろ職人の一人として名声を得て、見習い期間を終えました。
ジョン・ドルトン 1793-1873 |
修業を終えたジョンは隣町ランベスで知人のジョン・ワッツが職人頭を務める製陶所で1812年から働いたのち、2人は製陶所のオーナーであるマーサ・ジョーンズと協力して、ストーンウェアを専門にした「ジョーンズ、ワッツ&ドルトン窯」を設立しました。
1820年にはマーサ・ジョーンズとの関係が切れ社名を「ワッツ&ドルトン窯」と改めました。徐々に主導権は若いドルトンへと移り、1826年には社名を「ドルトン&ワッツ窯」として、ランベス・ウォークのより広い敷地に移転し、急速な拡大に対応していきました。
息子ヘンリー・ドルトンによる衛生革命
ヘンリー・ドルトンは1820年に8人の子供のうちの2番目の子供としてヴォクスホールに生まれました。そして、1835年他の兄弟同様ヘンリーも窯の事業に加わりました。
ヘンリー・ドルトン 1820-1897 |
「ドルトン&ワッツ窯」は当初、陶器のストーンウェア、塩釉炻器、石製のボトル、ジャー、フラスコなどの製造を専門にしていましたが、ヘンリー・ドルトンの事業への参入が「衛生革命」の原動力となりました。当時のロンドンでは工場用水による下水道の汚染が問題となっていました。そこで、浄水器や排水管に使用される陶器を開発して、日常生活の向上に貢献したのです。彼の技術的専門知識により飛躍的に成長し、「ドルトン&ワッツ窯」はパイプとストーンウェア製造の先駆者となり、彼らの作品は1851年にロンドンで開催された「万国博覧会」で展示されました。そして、2年後の1853年に共同出資者であったワッツが引退し、社名を「ドルトン&Co.」と改めました。
ランべス美術学校
当時、ストーンウェアや水道管事業が波に乗っていましたが、ジョンも息子のヘンリーも芸術への参入には無頓着でした。そんな中、1854年に「ドルトン&Co.」のあったランべスの地にランベス美術学校が設立されました。その学校の校長であるジョン・チャールズ・ルイス・スパークスの強い説得によって、陶芸の分野へと踏み出しました。
芸術的に優れた人材を、ランベス美術学校の卒業生から雇うことが出来るようになり会社は大きく変わった。その結果、ジョージ・ティンワースやランベス美術学校の卒業生であるハンナ・バーロー(後に妹のフローレンスもドールトンに入社)など、多くの人材が採用され、その繊細で鮮やかな色使いのデザインは万国博覧会などで認められ、ドルトン窯は国際的にも注目されるようになりました。
バーズレム工場(ストークオントレント)とボーンチャイナの開発
ロンドンの都市化に伴い、1877年、ヘンリー・ドルトンはストークオントレントのバーズレムに窯を移転することを決意します。ストークオントレントはウェッジウッドやミントン窯などが集まる、陶磁器の中心地です。土器の原料となる粘土、窯の熱源となる石炭、釉薬の原料となる鉛や塩などの原材料が豊富にあったため、この地域は陶芸家の中心地となったのである。そして、ドルトン窯は大部分の事業をバーズレム工場へと移転しました。
その後、ドルトン社は、より多くの明るい色を塗ることができる素材追求し、牛の骨灰を含んだ独自の白い磁器であるボーンチャイナの生産を実現しました。
王室御用達ロイヤルドルトンへ
ヘンリードルトンは数々の功績により、1887年に窯業関係者で初めてとなる「ナイト」の称号を授かり、1897年にその生を終えました。それから、4年後の1901年に、遂にドルトン窯はエドワード7世より王室御用達であるロイヤルワラントが与えられ、現在知られる「ロイヤルドルトン」を名乗り始めることになります。
ロイヤルドルトンの作品
フィギュリン
ロイヤルドルトン フィギュリン HN2308 |
1913年にジョージ5世夫妻がバーズレムの向上を訪れた際、つい始まったばかりであったフィギュア部門に関心を寄せました。そしてフィギュアは大ヒットし作品名にはデザイナーであったハリーニクソンのイニシャルを取りHN+数字のパターンナンバーが割り振られて、現在までに5000を超える作品が誕生しています。HNシリーズのほかにも、既に当記事でも紹介したバニキンズシリーズなどが有名ですね。
ロイヤルドルトン買収そして現在
成長を遂げたロイヤル・ドルトンですが、ロンドンで芸術的な作品を専門に手掛けていたランベス工場は業績不振から1956年に閉鎖してしまいます。その後、単独経営が難しくなったロイヤルドルトン窯は合併や吸収を繰り返し、ついに2005年にはロイヤルドルトンは「WWRDホールディングス」に買収され、バーズレム工場を閉鎖し、製造を海外の工場へと委託する形で生産を続けることとなりました。この、WWRDも2015年にはフィンランドの老舗企業グループ「フィスカース」に買収されて、現在に至っています。
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